文字貯金

離と言います たまに書きたまに消える 名前はすきに読んでください

猫

猫を飼っていた家に顔を出した。部屋の隅に丸いクッションがあって、一瞬猫がいたのかと思う。いるわけがないよなと思い直して寂しくなる。

猫がいないことの方が珍しい家だから、次の猫をと話が出ているみたいだ。

薄情だと思ってしまった。喪に服すべきと思ってしまった。あんなにかわいい子がいなくなったのになあ、でもあの子がいない家は、部屋は何となく冷える気がする。

わたしが口を出すことではない、次の子もきっとこの家なら幸せにしてくれるだろうし。

心の中で思ってしまったことはここで白状して終わりにする。

旅路に寄せて

10月12日、昼過ぎに猫が逝ってしまった。

わたしの家ではなく、実家のようなところにいた猫。彼女との付き合いは13年くらいだろう、亡くなった母のことも知っている、よく出かけよく食べあまり抱っこはさせない暴れん坊でじゃじゃ馬な子だった。ここ数年でおもちゃの面白さに目覚め、カーペットをひっくり返しよく跳ねる子であった。

はじまりは子猫を貰ってくれないかと身内に声がかかったことからだった。前の猫を亡くしてしばらく経っていたから、身内で相談して迎えようという話になったはず。迎えに行った時、あまりにも小さすぎて寒そうで、キャリーバッグではなく手のひらに包んで連れて帰った。後部座席に揺られながら様子を見守っていたことを覚えている。その後お迎え初日に家の中で行方不明になったことは今でも語り継がれる伝説だ。ほんとうにいなくなったかと絶望したんだからね、見つかってよかった。

彼女は小さい頃から膝の上に乗ることも抱っこもあまりよしとせず、抱えられたあともしばらく耐えるように過ごすが、ぬるりと居間からいなくなる。しばらく抱かせてくれた時もあるがそれはきっと優しさだろう、仕方ないなあと許してくれていたんだろう。たまに赤子のように抱えながら揺れていると、抱かれる時間を伸ばしてくれた。気に入っていたのかな、そうだといいな。

人がいるところが好きな子だった。身内で集まっているとぬるりとやってきてご挨拶ににゃあんと鳴く。ただし子供の賑やかな声はよろしくないみたいで、大人の集まりばかりに顔を出した。その度かわいがられ、作業の邪魔になる時は追い出される時もあったが結局すぐ戻ってくる。寂しがりだったんだろうか。

またある時は玄関や外で日向ぼっこ。近くに人がいるとまたにゃあんと鳴く。こっちを見ている、撫でてほしいらしい。おでこ、首、耳の付け根、あごの下。途中ごろんと転げながらしっぽの付け根もまんべんなく撫でてやると、満足したのかすっと立ち上がる。そのままお帰りかと思いきや、数メートル先でまた転げる、こちらを見やる。撫でてほしいそうだ。いつもいつもこの繰り返し、撫でて移動してまた撫でて。しばらくするともういい!と威嚇されるところまでセット。あなたはブラシよりも手が好きだったね。

夜中に彼女に起こされる時もあった。ある時はご飯を食べたかったらしく、自分の食器を見つめる。少しだけ出してやるが、かつお節を寄越せと言いたいらしい、こちらを見たまま食べない。そんな姿もまたかわいい、おすわりをするからご褒美にほんのちょっと出してやる。かつおぶししか食べなかった。グルメな猫め。

食べすぎてたまに吐く時もあったが、こたつの中でひっそりと戻した時はとても驚いた。天気も悪く布団をしばらく洗えなかったから、ほんのり香るあの匂いに思い出し笑い。他のところでもたまに戻していたから、床にも畳にもその跡が残っている。

 

母が亡くなった時は、通夜や葬式の時仏壇の前の座布団で珍しく寝ていたらしい。母さん、おまえのこともよくかわいがっていたもんな、母にしっぽの付け根を叩かれている猫の姿を思い出す。もしかしたら近くにいて猫には見えていたのかな。ありがとうね。

 

最期の方は全くご飯を食べなかったらしい。色んなご飯を食べさせて、一昨日も少しは食べた。元気になったかなと思ったけれど最後に振り絞ったのだろうか。ほんとうに素晴らしい猫だった、しっぽが長くしなやかで、昼間は目付きが悪く夜は少しかわいいがやはり眼光が強い。小屋によくいて、ご挨拶によく触らせてくれるが近所の誰にでもではなかった。わたしが行くと寄ってきて、しっぽの付け根を撫でろとしりを向ける。撫でないと文句を垂れてにゃあにゃあと鳴く。かわいい子だ。

 

逝ってしまったあとの、痩せた、けれどあのふわふわな毛並みはそのままに布団に包まれた彼女に会った。丸まった手がかわいく、顔も穏やか。苦しくなかっただろう、少しずつ準備していたのだから。かわいいなあ、冷たいけれどふわふわとしたからだを撫でる、ずっと。庭に埋めてやるまで、ずっと忘れないように。好きだった耳の付け根、あごのした、おでこ、首、たくさん撫でてやる。しっぽとお腹も少し、今だけ。普段は撫でると少し怒るから。

タオルに包まれて、庭の木の下に埋められる。

またなあ、すばらしい猫。おまえのことが大好きだったよ、空でうちの母と先代の子達にご挨拶したら、ゆっくりしたらまた戻ってきてくれ。良かったらでいいから。小顔で、目つきが悪くて、でもおいしいごはんを前にすると少し和らぐ。長いしっぽを人間の足にまとわりつかせたり、左右に揺らしたり。いい光景だったよ、揺れているしっぽを邪魔して触ったこともある。きっとうざかっていたのだろう。そんな姿も好きだったよ。

抱えて連れてきて、最期も抱えさせてくれて嬉しかったよ。ありがとうな。

またどこかで会おう、ゆっくりしておいで。でも早めに夢にでも出てきてくれるとありがたいよ。

分析会

昨日の夜はとてつもなく情緒が終わっていて、ひとりで抱えるには辛くてしかたなかったから感情をとりあえず書き連ねようとぽちぽちしていたんだけれど少しの理性が即投稿するにはあまりになあと言ってくれたので内容だったので一晩寝かせていた。えらいね。

寝たら割と落ち着く人間なはずなんですが今回は未だに尾を引いていて、なかなか落ち着かない。感情のコードたちが混ざって90度違う事象とガッチャンコし始める5分前が続いています。そのうち事実と自己否定をこういうことだからわたしはだめだ!と変なつなぎ方をするのだろうという気配。自己嫌悪と否定が終わらないよ〜助けてくれよ〜〜そんなことを考えてようがなにも変わらないし脳味噌が削れるだけなのに、早く楽になりたいものです。今日は昨日のつづきでどうやったってわたしはわたしであるから土台無理な話ではあるけれど。

 

ここから下は冒頭で書いた昨晩の終わっている時の内容なので興味があればどうぞ。

 

今とてつもなくどこかに消えてしまいたいと思うのでその理由を探したい。

最近仕事で嫌なことやうまくいかない、あの人みたいに回せないなと思うことや人との関わりの下手さ、頼まれたことがこなせなかったり迷惑をかけたりということが多く自己否定気味だった。元々そう思ってはいたけど最近は目をそらせなくて、できない人間だなあいなくなればいいのになと思うのがよくあった。

今日は友人と恋人とで出かけていたんだけれど、さっき恋人から「あの人はすごく人ができてる、思ったよりあなたができない」と言われて、いやなんか言い方が違うなとか言っていたけど

人から見て、特にいちばん近いあなたから見てそう思うならそうなんだろなと実感してしまった。知っていたけど思い知りたくなかった。その後自責というか、いない方がいいなという気持ちでいっぱいになって話せなくなってしまった。多分恋人はまた些細なことで怒ったか拗ねたかしてるんだろうと放置しているしそのうちに寝てしまったからその話はできていない。

自分の無能さを実感してしまうとなんだかもうなにもできなくて、喉の奥から何か出そうで気持ち悪い。口が乾くし、どこかに行ってしまいたいし、手でも足でも切り傷をたくさん作りたくなる。痛いからやらんけども、消えたいなあとおもう。自分の無能さが原因の今だから、これを恋人にぶつけるのも違うし、それをしたところで落ち着くのか悪化するのか、後者になりそう。このままどこかに行ってひとりでしにたい。ひらがなになってしまった、もういい。

 

最後の文章のやけくそっぷりが個人的にちょっと好きかもしれない。かわいそうに。メンヘラっていつ治るんでしょうかね。

幸せを享受したい

明日が連休最終日なことに怯える夜です。こんばんは。

お休みのために働いているようなものなのでここ数日気分は最高なんですが、明後日出勤なことから目が背けられなくなってきた。この幸せな休日を享受したいのに、どうして嫌なことを考えてしまうんでしょうか。

 

思えば自分の思考が良い・幸せなことより悪い・悲しいことに目が向きやすいのでせっかくの幸福をきちんと受け取れていない時がとても多い。今は見なくていいのにな、と自覚はあっても離れていかない。学生時代に何かで読んだ、最悪を考えればそれより悪くはならないだろうという思考回路を続けてしまったせいか。元々悲観的な人間だから性質もあるんだろうね。

 

自責はここら辺にしとこ。ここからは日記になるんですが、せっかくの連休なので酒を飲み日帰り温泉に入り、昨日はクローゼットを整理した。今まで気にしてたけどやる気の出なかったことを片付けるのに成功、大きい成果です。やろうやろうと思っているとやらないけど、ふとした時に自分が困ってイライラすると片付け始めるんですよね、難儀だ。今回それは暗闇でクローゼットを漁っていた時だった。いらないもの着てないもの結構あったからついでに断捨離、結構な量になった。

こうしてやってみると後悔することあんま無いから、早く片付けてしまいたいなあと思う。思うだけで毎回終わるんだけれど。

明日はカーテンでも洗おうかなーみなさまも洗わないですか?カーテンとか寝具類洗うのは割と好きなんですよ、洗濯機ぶっ込んで干すだけだから。普段の洗濯物干しよりどーんとやれば終わるので、一緒にどうですか。

少しずつていねいな生活?を目指して自分に優しくしてやりたいものです。自責してメンタルいつもグサグサにしてるんだから、生活くらいは整えてやってもいいよねー

落し物

歩いてると落し物たまにあるじゃないですか。

道端にぽつんと落ちてるとあらーかわいそうにと思って端っこに寄せたり、届けたり、色んな方法ありますよね。

でもわたしが好きなのは見えるように高いところに引っ掛けたり置いてあるもの。大事なものなら戻って探しに来るだろうし、その時見つけやすいよねーとかそんな優しさが感じられて好き。枝に引っかかっていたり、座らされていたり、木の上にちょこんと乗っていたり。勝手に落し物屋さんと呼んでる。

今日もぬいぐるみ落ちてたみたいで、でも床じゃなくて手すりのところにおいてあった。見つかりますように。

言葉が押し寄せる

珍しく2日連続で書く。言葉が脳みそを高速で走っていくから。

普段とちょっと違う、このゾワゾワしてるのが何かわからなくて戸惑ってます。今日から家にお客さんが泊まるって言うのにこの現状で大丈夫でしょうか。それにちょっとハイな感じがあって浮遊感も少し。なにこれーお客さんが来るのが楽しみなのはあるだろうけどそれだけではこんなにならない。はず。

幼い子が来るので、普段以上に言葉の選び方に気を付けたいんだよ、今のうちに書き散らしておこう。深く考えずに話した言葉が良くも悪くも人生変えるなんてかわいそうなことをしたくないし。

 

捉え方?考え方?

今の自分がつまらんなあとよく思う。なんでかはやっぱりよく分かってないけど、多分ものの見方が狭くなってるんじゃないかなーと思いまして。

過去のTwitterや絵を見るとほんとに大好きな思考回路がそこにあって、その時何していたかって言うともう常に考えてた。好きな漫画のこと、物語のこと、この知識や考え方話書くのに使えそうーとか。創作意欲とんでもなかったもんね、あの時。ただあの時ってもうなってる時点で同じには慣れないと思う。懐かしむのはもう過去になってる証拠って歌詞があった。

こういう気持ちになる時って何回もあって、今の自分が嫌になってもっとなにかに捧げて考えて考えてる状態になりたいって思う。もちろんその状態が目標になってるから良くないけどね、あの時はそれが手段だったから。メンタルの調子も悪いしかなり頻繁に落ちまくってたのになー穏やかさで言えば今の方がかなりマシなのに。

思考がまとまらない時ほどたくさん考えられるし落ちるし、いいことと悪いことがたくさんで。

今の落ち着いてる時よりは楽しかったかもなあと頭を過ぎるのも本当。

 

つまんねえ大人になりたくないと思っていたけどそうなってしまっていた、ということに結構ショックを感じた。

今日美術館行ったんだよね、作品や絵を見てあーーーーーーこういうのこういうの圧倒されてかっこよくて動けなくなっちゃうの、こういうのが良いんだよって楽しかった。今時間持て余して英語勉強してみてはいたけど結局なんか書いたり描いたり創ったりするのが楽しいんだよな。

 

色々書いてきたけれど、この感情は多分一時のものであるから続かない。この熱量は冷めるとどこにいってしまうんだろう。もっと燻ってくれればいいのに、うーーんいやだなあこんな自分がやっぱ嫌い。