すきにやらせろ

離と言います たまに書きたまに消える 名前はすきに読んでください

早朝

今日は身内の手伝いで遠方へ出向いていました。深夜と早朝の境目くらいに起きて、適当に顔を洗って。眉毛だけかくつもりだったけど、興が乗ったからアイシャドウとアイラインも。ただ途中で飽きてしまってマスカラまではいかなかった。

まだ夜の暗さを抱える風景を眺めながら、しばらく車を走らせる。ラジオの録音を流して、下ネタトークにげらげらと笑いながらご飯も食べていなかったなと思い出す。

広い駐車場のコンビニに停めて、サンドイッチと、コーヒーが飲めないから砂糖をぶち込んだカフェラテを飲む。おいしい。

また車を走らせていると、たまに部屋の明かりが着いた部屋を見かけた。誰かの存在を感じて、なにしてんだろなあここの人。と勝手に考える。浪人生、夜更かし、朝からご飯を作るひと。顔も名前もそもそもただの消し忘れかもしれないのに、ぼんやり過程を考える。なんだか楽しくなってきた。

そんな頃合になると、段々と空が白んできた。夜と朝の境目。3時間くらい走らせているから、眠くてちょっとあくびも出てしまう。少しずつ明るい部屋が増えてきた。思い馳せることが減る。もうみんな起き出す頃。車通りも増えるし、いつもの日常に戻ってきた。

オチもなんもないですが、早朝ドライブいいよなってはなしでした。

ダブルスタンダード

この春から人と暮らし始めます。とうとうこの時が来たか、という感じ。

ほんとにわたしでいいの?とは思います。今日だって仕事からの帰り道とか、運転しながらしにたいー、うえー、とか奇声を発してるのに。マックのLサイズポテト帰りに食べちゃうのに。

 

嬉しい気持ちは大きい。やりたいことも色々とある。

ただ、その気持ちとは別に「他人が思考と生活に混ざり込む」という感覚が自分にどんな影響を与えるんだろうな、とも思う。正直怖い。

住むのが嫌、ということは全くなく、住むことによる変化を恐れているんでしょう。あとここで言う「他人」はよそ行きの言葉ではなく、額面通り「他の人」をさす。自分以外のね。

 

今まで1人の時間と空間、価値観をたくさん転がしてきた。それによって生まれたわたしのお気に入りの感性とか、文章もたくさんあると思う。楽しい夜も死にたい昼だってあった。それは全部すばらしいなんて言えないものばがりだけれど、楽しいものであったとは思う。

ただ、これからはそれが大前提ではなくなるんだな。誰かのことを配慮すること、気遣うことが当たり前になるんだなと。

こんな書き方してるけど、何度も言うけれど、嫌なのではない。ほんとうに。

 

なにかが変わることが怖い。

あなたと暮らしたい。

となりに座った感情同士は喧嘩してないし、どちらも本当だから。ダブルスタンダードってこういうことじゃあないよな、とは思いつつちょうどいい言葉が思いつかないから掲げておく。

気分

昨日〜今日まで気分結構晴れていたんですが、今また終わりました。また苦しい夜。

やわらかいうさぎとか、濃いめの酒とか、甘いチョコレートを含めば良くなりますか。なりません、お前だもの。

仕方ないから今日もなにか書く。形に残った方がいくぶんかましだと思うし、今の苦しさはまだ虚しくないタイプだから。

 

趣味の話になりますが、絵とかの作品を見るのが好き。もっぱらインターネットに放流されたものを眺めることが多いんですが、イベントもたまに行きます。お祭りは楽しい。し、作者の方に直接なにか伝えられる・お会いできることってそうそうないから、自己満のためにも行ってる。そういや昔美術館でたまたま展示作品の作者の方と会った親が大興奮だったな、ほら血筋みたい。

インターネットだと作品のことしか分からなくて、作者が人間なのかとかぜーんぶどうでもいいと思うんです。倫理観は見ちゃうけど。でもいたら存在証明できちゃうじゃない。あーこれ描いてるあなたも書いてるあなたも人間じゃんって。そりゃ当たり前なんけれど。あとこんなものを創れるのかって羨ましくなったり、ちょっと妬んだり、中学生の美術部みたいな浅ましい感情をずっと持ち続けている。そういう感情がずっと消えないからこそ、絵が好きなんだろうなとも思う。根っこがこどものままだから、純粋に楽しいとも思えるから。

アルコールにも、ふわふわしたなにかにも、宗教にも結局救われないなあと思いますが、なにかに夢中になれる時間がまだいなくならないから、しばらくは大丈夫かな。

どうしてってよく使う

最近ブログもそれ以外も言語化をサボりすぎていて、久々に書いたら少しタガが外れた。脳から言葉が外に漏れ出るかんじ、ノンストップ脳内流出!せっかくだし2つめ書いちゃおう。

 

こうやってブログを書いたりSNSに自分のメンヘラさを書き散らす時、「どうして」「なんで」をよく使うような気がする。答えは求めてないし、なんならそんなもんいらんと思っていたはずなのに。これこそ「どうして?」です。

ちょっと振り返ると、答えは求めてないけど自分の人生とかしんどいとか、もうメンタルがだめだめな時こそ理由を求めるのだなと思います。こんだけしんどいのも辛いのもなにか理由があるんだろうと。そうじゃなきゃやってられんわと。

でも、大体はなにもない。今しんどいのは嫌なことがあったり勝手に落ち込んでいるだけ。死にたくなるのはその辛さを直視したくないから逃げたいだけ。単純なもんです、学生の時からなんも変わっちゃいねえ。

卑下するのはいつまで経っても変わらずうまいので、もうちょっと向上心とか持てないかな、いやそんなもん簡単に手に入ったらこんなにメンヘラしてないな。というか情緒不安定か。こんなブログもやってないだろな、読み返した時顔を叩きたくなるような内容ばかりの。

 

話は少し変わりますが、こんな文章をなんのために書いてるかって言うと、自分の救いと整理ためです。誰も何も言わないから、中身をそのままぶちまけられる。きれいにしようとか考えなくていいし、脳内直で話せるから。楽です。

思ったことを考えながら書いてるからオチも結論もなんもない。読者してくださってる方たちには相当読みづらいだろうな。ごめんね。いつも読んでくれてる方、ありがとう。

壁打ちでぼそぼそ独り言してればいいのになと思うこともある。でもそれはわたしには向いてなかったから、多分これからもこのスタンスで続けると思う。ひとりはなんか虚しい。1人でも目を通してくれる可能性がないときついなあと。

こう考えてるってことを放流して、好きになってくれる人がいたらすごいなあと思いつつそういうのいいからとりあえず目だけくださいとも思う。ワガママ。仕方ないじゃんこんなブログ書いてる人間だから。

色々殴り書いてすっきりした。今日はここまで。

日常

最近遅寝早起きすることがよくあって、睡眠があまり取れていない。昨日は夜に寝落ちして、起きたら今日になっていた。風呂に入ったら朝まで寝れなくなったから、結局昼過ぎまで寝て休日がどこかにいってしまった。たまにはいいだろ、と思いたいけれど最近こんなんばっかだから頷けない。

寝つきは良くも悪くもないが、メンタルがよろしくない時は入眠直前に誰かの声がする。急に叫ばれたりよく分からないことを言われていることが多くて、特に大きな声が聞こえると1から寝付きをやり直しさせられるからたまったものじゃない。

今日は女性の声がした。わりかし女性がなにか喋っていることが多い。たまに救急車の音も。

 

最近生活がおわりだったせいでたまった洗濯物を畳む。食器はまだまだたまってるけど使える箸が残ってるからまだ大丈夫。とか言ってるとさらに生活水準か落ちていくから明日洗おう。

この後どうしようかな、夕飯も食べてないし。そういえば近くのスーパーでお菓子を買わないといけないんだった。

重たい空気がまとわりついてる感じ、ここ数週間抜け出せてない。

でも今日は紅茶を飲めた。お湯を沸かして、ガラスのマグカップティーパックを入れて、注ぐ、待つ。この作業が面倒で、数年間貰った紅茶を持て余していたけれど、最近やっと飲める(この工程がこなせるようになったとも言う)から。まだ良い日だ。多分。きっと。

無題

いつまでも情緒不安定でいたくないのに、幸せが自分を苦しめるときがあります

こんなに良くしてもらってるのにどうにも死にたくなるから

逃げたいどこかにいきたい死にたいってどこまでも追っかけてくるからわたしはずっと1つのところに留まれないんでしょうか、それとも留まってるからしんどいんでしょうか

何時までもこんなメンヘラでいられないだろ、死にたい夜もいつかなくなるだろと言い聞かせても今日はなんか寝付けなくてこんな時間です

 

きついなあと思います ずっと言い訳とたらればで生きてる 死ぬのも、特に痛いのが怖いから仕方なく生きてるような気もする

今こんな文を書くことでしか息できないです、いつかの自分が恥ずかしいなあこいつって見返せるように残そうな

理解とか納得とか

親から自分の変わらない部分を否定された、という話を聞きました。

 

その人の親の考え自体は明らかにおかしいとかではない、むしろそれが多数だろうなあという感じ。まあ仕方ないよね、人によっては納得できないよね、で済むはずだったけれど。

その話を聞いた時に「おまえに普通の幸せを」という言葉が出た。子供を産んで〜みたいな。

 

ほんとこの手の話になるといつも「普通」とは?って考えます。例にあげたけれど、どうにも今の世の中で子供を産むのが絶対的幸せとは考えられないし。共同親権とか出始めて世の中更におかしくなりそうですが、こんな中で結婚する意義とかどうなん?とか。まあただの例えですが。

しかも、その親というのも子へかなりひどいことをやらかしている人間なもので、おかげで説得力が全くない。この人の親視点で見れば好き勝手やってきたわけだし、今の段階では幸せなのか?とか色々と考え込みます。

ひとまずモヤモヤと考え込んでしまいましたが、こういう風にやみくもに否定するということは、相手の中では持っている幸せ以外を知らないのかなあと思うことにしています。良くも悪くも知らないものは測れない。そこは人間だもの、仕方ない。わたしもそうしてしまったことはあるし気付かなかったこともあるでしょう、反省。

 

血が繋がっていようがいなかろうが、余程の外道では無いかぎり自分の考えを尊重してくれる人といたい。そしてわたしもそうありたいなと思います。他人のことを理解しろとかどだい無理な話ですし、できると勘違いしたくない。理解した気になってひどいことをしてしまいそうだから。

 

最近自分自身こういうことを考えてなくて、気が抜けてしまっているかも。

今日は戒めとして。