文字貯金

離と言います たまに書きたまに消える 名前はすきに読んでください

本読むの再開中

社会人になってから小説と距離ができていました。本屋に行っても漫画しか買わないのが通常だったけれどここ数ヶ月でまた小説も手を出すように。

なにがきっかけかって言われると特別ないんだけど、おそらくamazarashiをまた聞くようになったことかなーと。あるアルバムのキャッチコピーに「歌詞を見ながら聴きたい曲が、今いくつあるだろう。」と書かれるくらいのバンドで、読んでいてとても言葉がきれいなんですよね。透き通ったとかそういう綺麗じゃないけど。言葉選び?あの時の情景が浮かぶかんじ。ぜひ聞いてみてください。

話を戻して、わたしは日本語がとてもとても好きなんだなあと改めて思う。言葉のやわらかさも有機物無機物の羅列によって作られる風景も。

今日は実績解除のために公園のベンチで小説を読んでみたんですがとっても気持ちよかったなー蓮の葉が池を埋めつくしていて、飛び込んだらもう見つからないくらい。すいかの匂いっていう本読ながら蓮に当たる夏らしい白い光を眺めていました。まだ5月だってのにね。

最近買った本だけ最後に並べとこう。リハビリがてらちょっと知ってる選書で舟を編む、こころ、NO.6を買いました。

おすすめの本か読んでるのがあったら教えてください。夏の匂いがする本が好きです。

能動的のんびり

日帰り温泉に行ってきた。

ここのところ繁忙期突入してご飯も作れん、帰るのは8時過ぎとかで貧弱体力終わりのわたしには辛い時期になってきました。忙しくなって初の休み、つかーれたねえと寝て起きて寝て起きて、でけえ風呂に入りたくて日帰り温泉へ。のんびり浸かって仕事でのやらかしを時折思い出しながらすっきりしてきたところです。

のんびりしながら考えてたんですが、家を出ずこたつでひたすらダラダラしたり寝たりするのは受動的のんびりだなーと。しかもわたし途中で何もやらなさすぎて病んできちゃうんですよね。休むの向いてないんかしら。

そこでのんびりする場所に行こう!疲れ癒す!!と温泉行ったらまあ多少は考えるけど病むようなところまではいかなかった。

これの違いなんだろーと考えてたけど能動的のんびりか受動的のんびりかだと思い至った。受動的はもう何もせん!つかれた!!という動けなくて引きこもる形で、能動的は疲れた!ので休める場所に行く!という多少は行動できていてのんびりすることを目的に結局は動いている。後者は体力が残ってないとできないことなんで前提条件が違うかもですが。

能動的のんびり、言葉が気に入ったのでまたやって来ようと思う。次はまた温泉もいいし外でのんきにぼーっとしてもいいな。

共感ができない!

自分に無い考えや価値観に共感したり、配慮したりが苦手だと今更ながら気付いた。

たぶん興味無いのもあるし想像力が足りないんだろうな、自分の経験したことなら分かるんだけどそんなものばかりでもないし。

芸能人の誰それがかっこいいとかもよく分からんし、仕事の話を聞いてもどうでもいいなと思うと改善点だとか求められても出てこない。恋人が誰と関わってようが危なくなければ嫉妬もないし、楽しいならそれでいいじゃん!って思う。一般的ではないところが多いのだろうか、ひとと話ができない、続かない。

そして近しい相手もその思考回路だと思ってしまうのが特にいけないところ。嫌な思いをさせてしまった。

そこまで考えが至らないところを思うとそういう気質なんだろう最悪だなーーって思います。でもそれで終わりにしたら今の関係性が終わってしまうし、どうしたらいいのかなと思うけど相手を想像できないんだから対処法が出てこない。

人付き合い、軽い雑談がうまくできないのはここに起因するのかしら。今までは似た人とか合わせてくれる人に甘えてきたのかな。だとすると本当に申し訳ない。

生理が近いからかな、今日は特にしんどいなーが止まらない。メンタル不安定な日。しにて

生活を続けたいだけ

ここ最近の生活に戦争が絡んでいるのがすごくいや!わたしとても不安症なもので、生活がこれからどうなるのか、備蓄とかしといた方がいいのかなとか色々考えて脳のメモリを常時使ってる感覚。

やだよー平和を享受したい!遠い国で殺し殺されとかこどもが急にいなくなってしまうような世界にいたくない

主義主張はどうでもいいし侵されなければなんでもいい、でも人の生死に関わる問題にしないでください

地続きの生活を続けようよ、だれも亡くしたくない。こわい世界にならないでくれ。

できたことを考える

去年の初めにウィッシュリストとか言うのを書いていた。今年初めに振り返ってみてできてたことを見てみたけど半分にも到底及ばなかった。まあまあ及第点ってことで…と眺めていた。

その時は休みで余裕あったからかもしれないけれどこんだけできなかったなーよりこれできたよね!って思えるようになった気がする。何かで見たけどわたしみたいな人間はできなかったを数えるよりできたことを数えて成功体験にした方がいいらしい。ご飯食べれた、風呂入れた、きちんと風呂に入れた、とか子どもみたいな当たり前を数えて、その数で気持ちも変わったり……するのかな。今日もバリバリ死にたかったけどそうじゃない日とか顔洗ってあーーどっか行きたいが減るのかな。そうだといいな。

 

ただそういうことをきちんとして自分を大切にするってとても難しいじゃないですか、特に生活面。掃除とか料理とか環境を整えるほう、自分が頑張らないと大切にできないけど頑張る気力がないんだよ!って叫びたくなります。お金で解決!とかできるほどの収入もないし。

とりあえず排水溝の髪を取るところからやってみてます、ハードルは低く、できるだけ楽にしないとぐーたらなわたしには続かないから!

結果はまた。

 

 

久々に書き散らした、自分の考えを出力するのはやっぱ楽しいな。読みづらいと思うけど読んでくれてありがとう。

 

一周忌近い

母が亡くなってもう少しで1年経ちそう。亡くなる直前の病室と葬儀前夜に入れ替わり立ち替わり人がやってくる慌ただしさ、火葬も全部終わって一息ついた時。今でも思い出して、特に病室の光景と匂いは今でも鮮明。だんだん心身不調になってる気がして、休みは時間があると考えてしまうから予定をつっこみ始めた。それはそれで疲れるんだけどね、どっちで疲れるかの違いくらい。

まだまだ引きずってる、人の死に敏感になってる。病気だとか事故事件だとか、ニュースで流れる度に他人事じゃないなあって思う。親死んでますから。

こんなこと考えたくないなーと思うのも寂しくて、母のことを忘れたいって思ってる感じがして。沼に足を取られて動けなくなる。そしてこういう思考の時ってめちゃくちゃ眠くなる。どうして。洗濯物干さないとなのに。

言葉使わんと忘れる

学生の頃は毎日ツイ廃してひたすら推しと自己否定・分析・たまに希死念慮とかの話をしていたからか文章化に慣れていて、自分でもあーこの文章好きだな!とか思える時があった。

でも最近自分の思うことをアウトプットすることあんましてないし、話すこと考えるのも仕事くらいな上にある程度定型化している。振り返ると言葉をよく考える機会が少ないからかうまく言葉が出てこない。なんか昔の焼き直しみたいな感覚がずっとある。

今日はじゃあ言葉ちゃんと使おか!という気持ちで書いてます。といっても日本語的にちゃんと、っていう意味じゃなくて言葉にしましょって意味です。文章は書くの好きだけど上手いわけじゃないからね。

 

こんなこと考えながら気分が乗ったので仕事終わりにスイートポテトを作ってる。今は焼き上がり待ち。1個1個丸めるのじゃなくて、パウンドケーキ型に全部詰め込んで焼いたの。芋ようかんぽくなるからお菓子ってよりはおやつに近いかも。

はちみつたっぷり入れて、バターもこれでもかといれてひたすら潰す、混ぜる、潰す。繰り返し。適当に作れるのになんだかおいしいんですよ、秋の定番おやつ。参考レシピは午後さんの「眠れぬ夜はケーキを焼いて」より。気になった方はぜひ見てみてください。

 

そんなこんなでおやつが焼きあがった。

様子みてこよ。