すきにやらせろ

離と言います たまに書きたまに消える 名前はすきに読んでください

理解とか納得とか

親から自分の変わらない部分を否定された、という話を聞きました。

 

その人の親の考え自体は明らかにおかしいとかではない、むしろそれが多数だろうなあという感じ。まあ仕方ないよね、人によっては納得できないよね、で済むはずだったけれど。

その話を聞いた時に「おまえに普通の幸せを」という言葉が出た。子供を産んで〜みたいな。

 

ほんとこの手の話になるといつも「普通」とは?って考えます。例にあげたけれど、どうにも今の世の中で子供を産むのが絶対的幸せとは考えられないし。共同親権とか出始めて世の中更におかしくなりそうですが、こんな中で結婚する意義とかどうなん?とか。まあただの例えですが。

しかも、その親というのも子へかなりひどいことをやらかしている人間なもので、おかげで説得力が全くない。この人の親視点で見れば好き勝手やってきたわけだし、今の段階では幸せなのか?とか色々と考え込みます。

ひとまずモヤモヤと考え込んでしまいましたが、こういう風にやみくもに否定するということは、相手の中では持っている幸せ以外を知らないのかなあと思うことにしています。良くも悪くも知らないものは測れない。そこは人間だもの、仕方ない。わたしもそうしてしまったことはあるし気付かなかったこともあるでしょう、反省。

 

血が繋がっていようがいなかろうが、余程の外道では無いかぎり自分の考えを尊重してくれる人といたい。そしてわたしもそうありたいなと思います。他人のことを理解しろとかどだい無理な話ですし、できると勘違いしたくない。理解した気になってひどいことをしてしまいそうだから。

 

最近自分自身こういうことを考えてなくて、気が抜けてしまっているかも。

今日は戒めとして。