前回のブログで次に話したい!と言ったことは書くのに時間がかかりそうなので、いったん別の話をします。
小さい頃から漫画、小説、インターネット文学、SNS、様々なものに触れてきましたがほんとうに多種多様な文ばかりでした。
読みやすい文章、おもしろい言葉選び、美しい文体。いずれもわたしには無いものです。
長年SNSで思いの丈を吐き出すことはしていたけれど、ブログ書くようになってから尚更感じています。
何を読んで、どう世界を見つめたらそんな文章が書けるんだ。嫉妬、羨望、ごちゃごちゃとした感情たちを抱える。
心地よくてするすると入り込む、あなたの価値観が根を張るようなものに触れるとそれはもう勘弁してくださいよと両手上げちゃいます。
なんというか、あなたすげーなの気持ちだけで終わってくれない。わたしもこんなものを書きたいと思ってしまう。喉の奥にこんなん書けるかよって僻みも同居してしまう。
お恥ずかしい限りなんですが、この感情には承認欲求も混じっていると思います。小さい頃の思い出とかは別として、見て見てママをこじらせて歳をある程度まで重ねてしまった。
これからどうなるんだろう。
10年後のわたしは、気持ちよく、ああ素晴らしい文章だ!って読んでいるんでしょうか。
それとも変わらず、指の爪を噛み睨みつける卑屈さを抱えているんでしょうか。
せめて、できないなりにはできないなりのうつくしさを携えて歩いていきたい、そう思います。