好きとか嫌いとかほどぶれやすいものはないと思います。
例えば付き合っている人とか、友達。本当にこの人の事すきなのか?とよく考えます。決して惰性で付き合っているわけではないのに。でも、なにか不安に感じるとすーぐ自分の感情を疑う。嫌なやつです。
嫌いなことに対する感情も、ちょっと通じる部分があります。
比較的時間が経つと大嫌い!が嫌いになって、だんだん落ち着くのがほとんどの流れ。理由として、わたしが負の感情を持ち続けるのにすごく疲れるから。
途中で無関心になってしまうし、嫌い続けること自体が自分にとってメンタルブレイクポイント、相当なマイナスなのでかなり変化しやすい部分。
死ぬほどこいつが嫌い、というか生理的に気持ち悪いって分類になってしまうかも。怒りよりはそっちの方が多い。
嫌いなものは上記の通りですが、好きなものがぶれやすいことに関しては「自分が信じられないから」ってのが大きいです。
自信・自己肯定感が低い自覚があって、この選択をした自分、というものを信じることが出来ないのです。
勝手にひとりで好きなことはよくても、誰か・結果が伴うとどうしても相手を巻き込んでしまう。
良いことならいいんですよ、でも悪いことになった時自分が責任取れるのか?とか。結局自分のことを考えるのは自己中心的なので、そこもまた嫌なところ。
やっぱり自分に関わるとか飲みに行ってくれる人って稀有なので、大切にしたいんです。わたしもあなたたちのことサイコーに好きだし、幸せになってほしい。
友達はまだ向こうが嫌になったら切ってくれるかもしれませんが、(もちろん長く遊んでほしいから礼儀を持って接している…と思う)恋人は将来を誓う相手だから余計に心配。あなたを嫌な思いをさせる原因がわたしにあったら、それに気付いていなかったら。怖いです。
人は変わるものですし、相手がわたしが、どちらかに合わせるのも必要だと思います。
ただ、その変化が互いに受け入れ難いことでないことを祈ります。
話もぶれやすいので、何を言いたかったんだかよく分からん内容になりました。いつも読みづらくて申し訳ない。また書き散らします。